「行っちゃいましたね……」
「こんな所で偶然出会った相手が、無関係だとかありうるのか?」
「でも、ご本人に心当たりはなさそうですし……」
 苦々しく吐き捨てたグランをなだめながら、エレムは馬一頭と人一人が駆けていった先を残念そうに眺めた。石板の矢印は、去っていった馬の方角を向いたままだ。
 その矢印が、ふと、大きく振れたかと思うと、馬の去っていったのとは逆の方角に先を向けた。
 目を丸くしていると、今度はその矢印の方角から、馬が勢いよく草地を駆けてくる足音が聞こえてきた。

「……あれ?」
 現れたのは、さっき反対方向に去っていった馬とその主の青年だった。さっきと同じ場所に並んで、自分を見上げる二人を見て、馬上の青年は目を丸くした。
「真っ直ぐ走ってたはずなのに、なんで?」
「さぁ……」
「まさか、あんた達もさっきのオークを操ってた奴の仲間なんじゃ」
 思いつくまま口にしたらしい馬上の青年は、しかしすぐに大きく首を振った。
「いや、俺の邪魔をするなら、もっと別なやりようがあるもんな。なぁ、その石板、ひょっとして俺と一緒に先に進めって言いたいんじゃないのか?」
「一緒に……?」
「というか、今は、あんた達と一緒じゃないと俺が先に進めないような気がするんだ」
 馬上の青年は、自分が向かおうとしていた先に目を向けた。空は雲ひとつなく気温の変化もないのに、行く手をまた、濃い霧が覆おうとしているのだ。
「さっきの、化け物達と一緒に出ていた霧でしょうか? なんなんでしょう」
「あまり聞いたことはないが、召喚獣と一緒に現れるようだから、魔力による目くらましの意味もあるんだろうな」
「その召喚獣ってのは、なんだ?」
 何気ないグランの問いかけに、馬上の青年は改めて驚いた様子だった。
「召喚獣を知らないなんて、あんたたち、一体どこから来たんだ? この馬だって、一応、俺が魔力で呼び出した召喚獣なんだぞ」
「馬だろ」
「……馬だけどさ」
「まぁまぁ」
 いきなりどんよりした青年を気遣うように、エレムが穏やかに割って入った。
「とにかく、僕らもほかに手がかりがないんです。一緒に行動してれば、判ることもあるかも知れませんし、同行させていただきましょう」
「そうしてくれるか。有り難い」
「しょうがねぇなぁ」
 殊勝に頭を下げた馬上の青年とは対照的に、グランは露骨にかったるそうな顔で、長い髪をかき上げた。


 もう一人くらいならなんとかなるが、さすがに大の男を更に二人も乗せるわけにもいかない。馬の歩みに合わせて、グランとエレムは多少小走りについていくことになった。
「へぇ、召喚士に魔法剣士ですか。この世界は、どうやら魔法が生活の中で大きな影響力を持ってるんですね」
 夜中の洞窟から放り出された先が真っ昼間の草原だったことや、さっきの得体の知れない生き物との遭遇で、ふたりはすっかり、目の前の事実を受け入れる気になったらしい。馬上の青年の言葉に、異を唱えることもなく耳を傾けている。
「『この世界』ってのも、くすっぐったい言われ方だな。あんた達の『世界』は、魔法がないのかい」
「その類のものが、まるっきりないわけではありませんが、使える人は限られているし、威力もさほどではありません。政治や軍事に用いられるほどのものではないですね」
「へぇ……ずいぶんと原始的なんだなぁ」
「そうですね。自分の思うままに馬を呼び出せたら、旅も楽そうでいいですね」
「いや、召喚獣ってのは本来そういう目的で呼ぶわけじゃないんだけどさ……」
 青年はなんとも言えない顔で言い淀んだ。どうやら召喚獣としての『馬』の立ち位置は、なかなか微妙なものであるらしい。それまであまり興味のなさそうな顔で話を聞いていたグランが、ふと進行方向の霧の中を探るように目を細めた。
「いるな。二匹」
「え?」
 青年が聞き返したときには、既にグランは無言で地を蹴っていた。黒い髪と鎧が霧の中に溶け込むのとほぼ同時に、鞘から抜かれた刃が風を起こしたのが気配で感じられた。
「グランさんは、あれで凄腕の傭兵なんですよ。一部の人には『漆黒の刃』なんて恐れられて……」
 隣を歩くエレムは、特に慌てた様子もない。代わりに、霧の中から怒鳴り声が飛んで来た。
「そういう恥ずかしい呼び名を広めてるんじゃない!」
「はいはい」
 彼らが追いつくと、少し薄れた霧の中で、グランは既に剣を鞘に収めていた。大きな生き物に草が踏み荒らされた跡はあったが、オークの実体の痕跡は既にない。
「魔法剣士でもないのに、召喚獣と渡り合えるとか、凄まじいな……」
「そうか? 急所を狙えば、霧みたいに消えてくれるとか、楽でいいぞ。血の跡も残らないなら、剣の手入れも心配しなくていいな」
「……あんた達の世界に、魔法剣士や召喚士がいない理由が、なんとなく判る気がするぞ」
 呆れたように青年は呟いた。
「それにしても、集団でオークを操るとか、変な霧を出すとか、今まで見てきた召喚のパターンとなんか違うんだよなぁ」
「そうなんですか?」
「うん、通常、召喚士に召喚獣は一人一体なんだよ。あんなに大勢のをいっぺんに操るっていうのは、聞いたことが……」
 言いながらなにげなく空を見上げた青年の言葉が、ふと途切れた。表情が変わったのに気づき、グランがその視線の先を目で追いかける。
「どうした?」
「今、太陽の近くをなにかがよぎった……」
「こんな霧の中で鳥?」
「上空まで霧が及んでないんだろうが、なんかすごくでかい」
 その姿は霧に阻まれて見えていないはずなのに、青年の目は無意識に『鳥』を追いかけているようだ。エレムは、彼の乗った馬が、同じように険しい瞳で中空を見つめているのに気がついた。すぐに、鳥の羽ばたく音がその視線の先から聞こえてきた。
「急降下して前から来るぞ、エレム、援護しろ!」
 今度も、真っ先に動いたのはグランだった。その後を追い、背中の剣の柄に手をかけながらエレムも駆けだした。
「待て、火の気配がする、そいつは……」
 驚愕した様子で、馬上の青年が背後で叫んだ。だがその声が終わるよりも早く、降下を終えた『鳥』が大きく翼と嘴(くちばし)を広げ、人間達を待ちかまえている姿が霧の中に浮かび上がった。
 赤みを帯びた鮮やかな黄金の体に、太陽の色をした嘴。その奥から覗くのは、炎の吐息。
 グランに並んだエレムが、背中の大剣を引き抜いた。ひときわ大きな咆哮を上げ、黄金の鳥が彼らに向けて火炎の息を吐き出そうとした、その瞬間、
 地を蹴ったグランは、軽々と黄金の鳥の頭上に躍り上がった。
 軽鎧とはいえ、それなりの重量のある装備を身につけた大の男が、人の頭ほどの位置で滞空している鳥を飛び越えようとしている。前方と上方に意識を散らされて、黄金の鳥が炎の吐き出す先を一瞬迷った。
 その頭上で、グランは剣を抜きざま、鮮やかに刃を一閃させた。
 頭部から頚部にかけてを両断されて、黄金の鳥は翼を大きく広げたまま、空中で動きを止めた。
 口から放たれるはずだった炎が行き場を失い、頭部を燃え上がらせる。その炎は、あっというまに鳥の体全体を包み込んだ。
 一方、剣を鞘に戻しながら上空で体を一回転させ、足から着地しようとしたグランの姿が霧の中に飲み込まれた瞬間、
「あうぇぁあ?!」
 それまでの手並みとはずいぶんとかけ離れた間の抜けた悲鳴が、地面の更に下の方に『落ちて』行くのが聞こえてきた。その後を追いかけるように、全身を自分の炎で燃え上がらせながら、黄金の鳥がひらひらと『落ちて』いった。一緒に風が動き、霧が薄れていくと、
 炎の鳥のいた場所から先の地面は、ぽっかりと大きく口を開けていた。
「が、崖?!」
「声と気配が消えたぞ……?」
 あっけにとられて様子を眺めていた馬上の青年が、エレムの横まで馬を進めてきた。
 周囲の霧が晴れると、眼下にはまるで雲海のように霧をたたえる、切り立った崖が横たわっていた。普通に考えれば、さっきの鳥もグランの体もそのままこの下に落ちていったのだろうが。
「いや、ちょっとこれは洒落にならないような」
「兄ちゃん、石板」
 ぽかんとした様子だった青年が、ふとエレムに視線を向けた。言われるままに懐から取り出すと、さっきまでは頑なに馬と青年を示していた矢印の先が、今は前方の、崖の方へと向いている。
「岩や崖下になにかが叩きつけられた音もしなかったし、もう人の気配もない。この下が、次の道に通じてて、黒髪の兄ちゃんは先に飛ばされたってことじゃないのか?」
「いや、でも……」
 そう言われて、はいはいと納得して飛び下りるわけにも行かない。悪運の強いグランのことだから、叩きつけられる前にどこかに引っかかってでもいそうなものだ。それなら、上から引き上げてやらなければいけない。
 だが。
 それまで他人事のような顔で話を聞き流していた馬が、自分から突然首を動かし、後ろからエレムのえり首をくわえて引っ張り上げた。
「え、ええっ?」
 悲鳴を上げるエレムには構わず、馬は一旦後ろに首を振り、その勢いでエレムの体を崖の真上に放り投げた。
「~~~~!」
 言葉にならない悲鳴を上げながら、その姿が崖下を覆う霧の中に飲み込まれて見えなくなった。
「……ちょっとやりすぎじゃねぇの……?」
 さすがに不安になって、馬上から青年は崖下をのぞき見た。馬はもう知らん顔だ。
 まるで、エレムが落ちてくるのを待っていたかのように、崖下の霧が一斉に引き始めた。霧が晴れてみると、崖は底が見えないほど深いわけではなかった。あっというまに消し炭になったさっきの鳥の体が、崖底でくすぶっているのが見える。
 だが、人間二人が打ち付けられているような姿はどこにもなかった。
 青年はほうっと息をつくと、その崖の遥か向こうにある、自分の目指す方角を見据えて、真面目な顔を作った。
「なんにしろ、俺達はここを越えて行かなきゃいけないようだな。相棒、少し戻って、助走をつけて飛び越えるぞ」
 主に首筋を叩かれ、馬はまるでその言葉を理解したかのように、元来た方向へと首を巡らせた。
 視線の先に広がる草原は、さっきまでの霧が嘘のように晴れ渡っていた。

<第二章 了>

l201303110600
















タイトル協力・設定助言:武市さま
若者とおじさまが活躍する素敵な原作はこちら → 
俺の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ

「俺の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んじまえ」11話、12話と21話を参考に構成しています。
作中、オークの外観についての言及はないので、一般的なイメージを用いました。