夢の中の依頼を受けるだなんて、ばかげているとしか言いようがない。
 ワイバーンのセツは、湖畔から自分を見上げているメリュの姿をちらりと見やり、胸中でまた呟いた。飛行中でなければ、ため息のひとつもつきたいところだ。
 そこは、その地域ではわりと大きな湖の上空だった。
 山間部が近いことや、上空との温度差の影響もあるのか、一年の大半は湖の上空を薄い雲が覆っている。この日もそうだった。その雲と、湖上の水面のちょうど中間当たりを、セツはできるだけゆっくりと旋回していた。
 メリュが言うに、頼まれた『お届け物』は空から降ってくるらしい。白いものと、黒いものだというが、具体的になにが降ってくるかまでは判らないという。
『依頼人の正体も判らなければ、運ぶものがなにかも判らない、しかも夢の中での頼まれごとを、なぜ真に受けなければいけないのだ』
 と、セツはしごくまっとうな反論をしたのだが、
「だって、あの子、すごく困ってたみたいだし、聞いててとても大事なことなんだなって思ったんだもん」
『夢なんだろう?』
「そうだけど、いいよって言っちゃったんだもの」
 メリュは当然だというように胸を張った。
「それに、報酬は大きな宝石みたいだった! 色まではよく判らなかったけど、丸い緑の台座にはまってたから、立派な指輪か、ペンダントヘッドじゃないかな」
 本当に 『お届け物』を受け止めて届けたとして、夢の中の依頼人からどうやって報酬をもらうのだ。
 メリュの押しの強さは今に始まったことではないが、一度きつく言い含めた方がいいのかも知れない。いいかげん何周目になるのかも判らなくなった旋回に再度入りながら、セツは薄雲に覆われた空に目を向けた。と、
「~~~~っ!」
 確かに、全体的に白いものが、薄い雲間から降ってきた。表現しようのない悲鳴を上げながら。


 着地するはずだった地面がそこになかった。
 なにを言っているのか判らないかも知れないが、自分でもなにが起きたか判らない。恐ろしいものの片鱗を……
 などど頭の片隅でやけに冷静なことを考えていたら、いきなりグランの足元の霧が晴れた。眼下に広がるのは、灰色に波打つ水面だ。崖底や岩場に落ちるよりはましかも知れないが、さすがにこの高度から落ちたら無事では済みそうにない。
 その時、自分の斜め後ろから、大きな影が近づいてくるのが目に入った。それがなにか、推察する余裕などもちろんない。
 後ろから近寄ってきたそれは、グランに合わせて下降しながら、大きなはさみのようなもので彼の腰をはさみこんだ。そのまま落下の勢いを殺すように少しの間斜め下へ下降を続けたあと、水平に動きを変えた。
 どうやら、飛び込みと着衣泳は免れたらしいが、自分は何に助けられたのか。そう思ってふと見れば。
 自分の体を挟み込んでいるのは、大きな白い牙を生やした、巨大な上顎と下顎だった。
 ぎょっとして、あたふたと剣の柄に手を伸ばしかけた、その時、
「この方は、敵じゃないですよー」
 意外なほど近い場所から、覚えのある声が聞こえてきた。それも、背後から。
「そこでグランさんが暴れたら、僕まで振り落とされるかも知れないからおとなしくしてくださいね」
 エレムの声は妙に落ちついている。いっそ暴れてやろうかと一瞬思ってしまったが、自分をくわえているものは、とにかく害意はないらしい。
  グランが静かになると同時に、やはり背後で、大きな羽ばたきの音が聞こえた。考えてみれば当たり前のことだが、自分をくわえているなにものかは、巨大な翼を持っているようだ。ゆったりと高度を下げて向かうその先の地面で、やたら着込んだ白い髪の少女が、大きく両手を振っている。
「ほら、言ったとおりの白と黒でしょう? セツ」
 グランをくわえたまま、地面におりたったその生き物に、白い髪の少女は得意げに言い放った。その少女の前に差し出されるように置かれたグランは、振り返って自分をくわえてきたものの姿を見上げ、さすがに腰が抜けそうになった。
「なんだ、これ、この辺りの鳥ってこんななのか?」
「鳥じゃないよ、飛竜(ワイバーン)っていうの」
「鳥じゃないって」
 翼があって空を飛ぶなら鳥ではないのか。しかし外観は、鳥というよりはトカゲのようでもある。大きさが半端ないが。
「いやあ、空を飛ぶなんて初めてです、神の視点ってあんな感じなんでしょうか」
 口がふさがらないままのグランとは対照的に、エレムはすっかり感動した様子で、その飛竜の背から降りてきた。
「……なんでお前が、俺より先に拾われてるんだよ。俺の方が先に落ちただろう」
「そうなんですけど、この状況でそういう細かいことを気にするのも無意味に思えないです?」
「ああなぁ……」
 思わず納得して、グランが頷く。飛竜は二人をしげしげと見比べた後、視線を少女の方に向けた。
『拾ったはいいが、これをこれからどうするんだ、メリュ』
「どうするって……」
「喋った?!」
 今度はさすがにエレムも一緒になって声を上げた。メリュと呼ばれた少女が、今度は目を丸くする。
「ワイバーンを知らないのに、どうして竜語が判るの?」
「竜語? 普通に喋ってたじゃねぇか」
「まさか、セツは違う言葉を喋ってるよ?」
『ふむ……』
 戸惑う人間達とは裏腹に、セツと呼ばれた飛竜は、思案するようにメリュを見下ろした。
『どうやら、メリュの見た夢は、本当にただの夢とは違うのかも知れないな。まずは彼らがどこから来てどこに向かっているのか、きちんと聞いてみよう』
 
「ああ、きっとその女の子だよ! 私の夢に出てきたの」
 二人のこれまでの話を聞き終わると、メリュは驚いた様子で、彼らの間に置かれた黒い石板をしげしげと眺めた。
「それでね、空から落ちてくる白と黒のものを、示されたとおりの場所に運んで欲しいって言われたの」
「俺達はモノか」
『我々が配達屋だと判っていたから、あえてそういう言い方をしたのかも知れないな』
 翼を休めるついでに、そばの木の若芽を器用についばんでいたセツが、グランの言葉に静かに応えた。
『それが、「人を運んで欲しい」と言われていたら、いくら夢でも安請け合いはしなかっただろう?』
「そうねぇ……。さすがに、大人の男の人を二人も、一緒にセツの背に乗せて運べないものね」
 メリュは頷き、石板から二人の人間へと視線を移した。
「で、あなたたちの話からすると、その石板の示す場所まで行き着けば、新しく道が開けるってことなのかな」
「そう……だと思いますけど」
 さすがに自信がなさそうにエレムは頷いたが、逆にメリュはなにか心当たりがあるらしい。石板の矢印が示す方向に、確信を持った視線を向けた。
「じゃあ、やっぱりあそこだよ。セツ、例の『聖域』って、あの谷の向こうだよね」
『方向はそうだが……あそこだという確証はないだろう』
「私、一度行ってみたかったんだ。とても綺麗な場所なんでしょう?」
 青い瞳をきらきら輝かせてたたみかけるメリュとは逆に、セツはどうも気が進まないようだ。
「なんなんだよ、その『聖域』って」
「飛竜族が、聖なる地として守ってる場所のひとつだよ。古い時代の火山の噴火でできた、小さな山があって、その頂上が大きな湖になってるの」
「山の頂上が?」
「そう。山頂にあるのに、その湖はもう数千年も水量が変わらないままなんだって。でも、その湖面はずっと霧が覆ってて、滅多に見ることができないの。飛竜族は、『永遠の水瓶』とか『雲の生まれる場所』って呼んで、心ないものに荒らされないように守ってるんだって」
「それは不思議ですねぇ」
 興味をひかれた様子のエレムが、熱心に頷いた。
「竜のみなさんが守ってる場所なら、セツさんがいれば、通していただけるんじゃないですか?」
「普通は、そうみたいなんだけどね……」
 メリュの意味ありげな視線に、セツは少し肩を落としたように見えた。
『あの辺りの一族とは、ちょっと相性が悪いのだ』
「でも、石板はあっちを示してるんだよな」
 確かにグランが言うとおり、石板の矢印はまっすぐ『聖域』の方を示している。
「どっちにしろ、俺達があんたに無理強いすることはできないしさ。俺達だけでも示す方向に行ってみるよ。理屈は判らないが、あんたと喋れるってことは、ほかの竜とも喋れるってことだろ」
『それはそうかも知れないが』
「駄目だよ! 一度受けた依頼なんだから、きちんと最後までやり遂げなきゃ!」
 いつになく自信なさげなセツに、メリュが力説する。
『……メリュは聖域を見たいだけだろう』
「それもあるけど!」
「同行していただければ、とても心強いことは確かです」
 メリュの姿を微笑ましそうに眺め、エレムも頷いた。
「とにかく、行くだけ行ってみようよ。竜族は縄張り意識が強いけど、礼を尽くせばきちんと応えてくれるんでしょ。正面から正攻法で頼んで、もし駄目なら、また別の方法を考えてみよう」
 どのみち、メリュはもう行く気になっているようだ。セツも仕方なさそうながら頷いた。
 どうもこのコンビ、主導権を握っているのは小さな少女の方らしい。
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